3年目社員の森田が話す、これまでとこれから

  • 2020.10.09
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3年目社員の森田が話す、これまでとこれから

こんにちわ!福岡支店サブセクションチーフ 森田 伸哉と申します!
今回はなぞに包まれていた森田伸哉のこれまでの人生とこれからの人生についてお話ししたいと思います。

どうぞある成人男性の人生日記だと思って読んでもらえたらと思います。

プロフィール

森田 伸哉(モリタ シンヤ) 
1997年7月7日 うし年かに座 千葉県習志野市にて誕生。
名前の由来は良くわかっていないんですが、すくすく身長が伸びるようにといった感じだったはずです。ちなみに生まれも確か習志野市だったかと。といったように正直あまり自分のことで語れる情報がないのが、僕です(笑)

基本的な性格はポジティブでとにかく何とかなる精神が強い性格ですが、それがあだとなっており、時間にルーズなのは本当に治したいと思っています。

趣味は音楽や漫画、ゲームです。(かなりインドアですね)
音楽は聴くのも弾くのも大好きで、後々またこの話は出てきます。
漫画は小学校の頃からずっと好きで、最近はスポーツ漫画にドはまりしています!
そして、ゲーム。PS4をやらない日はないんじゃないかというぐらい、ゲーム好きで、最近ではついにPCゲームにも手を出して、トラック運送ゲームなんかやっています(笑)

さて基本情報はこんな感じになりますが、早速僕のこれまで生まれてからの人生を話してみたいと思います。

生まれてから小学校まで

習志野市で生まれた僕は、幼少期体がかなり弱く、入院続きの日々だったそうです。その為、今でも両親からよく話されるのがあの頃は退院するときに、看護婦さんから「いってらっしゃい」って言われて、またすぐ入院して「お帰り!」と言われていたみたいです(笑)

今の自分からすると本当に信じられないぐらいですが、うっすらと覚えているのは病院の前の不二家レストランが好きだったのは良い思い出です。
そんなか弱い体の少年森田ですが、サッカーが大好きで家の近くの従兄に、広い駐車場でサッカーを教えてもらっていました。
当時僕の中のヒーローだったデビットベッカムを目指して、両親にはサッカー教室に通わせてもらっていましたが、覚えているのはなぜがゴールの目の前でゴールしないという謎な行動をしていたのを覚えています。
そんな日々を過ごして、ついに森田少年は小学生になりました。

小学校~中学校時代

小学校に上がると森田少年は東京の江東区亀戸に引っ越しました。なので、どちらかというと千葉より東京のほうが記憶がたくさん残っています。

小学生時代

小学校に上がると、幼稚園の頃からやっていたサッカーを続けるかと思いきや、両親が共働きになったことで、通うことができなくなりましたが、遊びでサッカーを続けていました。

そしてこの頃流行っていたゲームキューブにより、ゲーム熱に火が付きます。
当時、大乱闘スマッシュブラザーズというゲームがあり、数えられないくらいずっとそのゲームをしていました。

ちなみにここでちょっとした小話ですが、この時代友達と遊ぶ約束をするときには、携帯やスマホなんてもちろん持っていなかったので、学校で約束するか直接友達の家に行って外から叫んだり、家の電話からかけて○○君いますか?なんていう、リアルサザエさんのカツオ君と中島君をやっていたのは、良い思い出です。

とそんな小学生時代だったのですが、その時に今の自分の考え方や性格になる出来事が2回あります。

1回目は小学2年生ぐらいの時でした。当時は持ち前のポジティブシンキングで、辛いなや悔しいなぐらいにしか思っていなかったのですが、今思うとその時代いじめられていました。特別大きないじめではなかったのですが、よくハブられたり、暴力を振るわれたりしていました。
そんな時にやり返そうと思って、おじいちゃんに相談しました。ですが、その時おじいちゃんに言われたのは

「今やり返したら同じ人間になるぞ、何があっても人には優しくしなさい。伸哉は優しくされて嫌な気持ちにならないだろう?だから人には優しくしなさい。いつかしっかり返ってくるから」

その言葉を聞いた僕は、すんなりその言葉を受け取って、しばらく耐えることにしました。するといじめられることはなくなり、一緒に遊ぶ友達になっていました。それから僕は、何があっても「人には優しく」というのが1つの人生観になりました。

そして2つ目の人生観を作る出来事が小学5.6年生です。当時の担任の先生は今でも恩師と呼べる先生でした。
5年生になった初日に、先生からの挨拶で早々に全員怒られました。
理由は「こんにちわ」の挨拶に返事をしなかったからです。
たったそれだけの事と思うかもしれませんが、とても怒られ怖い先生だと初日から思ったのを覚えています。
ですが、それからの毎日はとても楽しかったです。
必ず朝一人一人と挨拶をして、帰りにも一人一人挨拶をする、そして人の話を聞くときには目を見て、頷きながら聞くなど、「人としての基礎」をとても教わりました。
今考えても本当にこの時期は今の自分を作った時代だと思います。

中学生時代

そんな今の自分を作った小学生時代を終えて、中学生になりました。
中学校ではサッカー部に入り、サッカーに没頭しました。
その頃の憧れはスペインの名門クラブバルセロナのセンターバック、プジョルに憧れていたこともあり、センターバックのポジションで日々練習に励んでいました。
正直あっという間の3年間で、とても辛かったのですが試合が楽しかったり、少しづつできることが増えたのがとても楽しかったのを覚えています。

そして中学卒業前の学年レクリエーションで、大げさかもしれませんが人生の転機が訪れます。
そのレクリエーションの中で、友達がバンド演奏を披露したのでした。
当時の僕は音楽を聴く機会もなく、テレビのCMや音楽番組で軽く聞くぐらいでした。
その為、ギターとベースの違いも分からず、ギターボーカルの友達が足でエフェクターというギターの音を変える機会を踏んでいるのを、何をカチャカチャ踏んでいるんだろうというレベルで、バンドというものに触れあったことがありませんでした。

さていざ演奏が始まると、まず生ライブというところで、音量にびっくり。
バスドラムの内臓に響いてくる低音に、ギターの鋭い音、ベースは当時どの音かわかりませんでした(笑)
そんなバンド演奏で今や大人気のRADWIMPSさんの「もしも」という曲に出会います。
そこから一気にサッカー熱から音楽熱、バンド熱に火がつきどっぷり音楽にはまるのでした。(人生って本当分からないものですね)

高校時代

バンド熱に火が付いた僕は、軽音楽部に入りました。
じゃあどのパートやろうってなったときに、好きだったバンドSPYAIRのベース「MOMIKEN」さんのライブパフォーマンスが好きというだけで、ベースをやることにしました。(ベースの弾き方や音すら知らなかった当時)
どのくらいお金がかかるのか、何を揃えたらいいのか、どこで買ったらいいのか。分からないことだらけの僕を先輩たちはとてもやさしく教えてくれました。

そしていざベースを買って練習。毎週平日3日の放課後と土曜日丸1日と活動日があり、授業が終わったら速攻部室に行って練習をしていました。
指引きという指で直接ベースの弦を弾く奏法の練習をしていたら、初日で指の皮がめくれました。
今思うと自分でもバカだなって思うんですが、ただ同じ音やドレミファソラシドを弾くだけというのが、信じられないくらい楽しかったんだなって思います。

そんなベースに没頭した森田青年は、中学の学年レクリエーションでバンド演奏をしていた友達に、一緒にバンドをやろうと誘われました。
今だから言いますがその彼のことはとても尊敬していて、かっこいいなと思っていたので、2つ返事でやろうと言い一緒にやることになりました。

ただそれぞれ通っている高校が違ったため、演奏を披露するとなるとライブハウスでお金を払って、出演するなどの方法しかありませんでした。

しかし!江東区には素晴らしい場所がありました。
それは青少年センターという青少年の交流の場として、区が運営している施設があり、そこでは青少年を集めて参加費、観覧費無料のライブを開催していました。
中学時代から中学の友達はそのライブに出演していたので、迷うことなくそこに出演することを決めました。

そしてベースを始めてからわずか3ヶ月、ライブに出演しました。
ガチガチに緊張して、全然うまくいかなかったのを今でも覚えていますが、そのライブを制作していた年上の高校生たちがとても、盛り上げてくださってライブをやる楽しみというのをとても味わいました。
そしてライブが終わった後、半ば強引にそのライブを制作している高校生団体に加入することになりました。(急展開)

初ライブでド緊張している模様

ライブ企画制作団体時代 ~高校生~

そこでは青少年センターという施設を使って毎週色々な高校の学生が集まり、
会議を行って、年に2回ライブを開催していました。
正直、勉強と部活とアルバイト、そしてライブ制作。やることが多すぎて大変でしたが、毎回の会議は本当に楽しみでした!

会議ではどこの高校に出演者募集をかけるか、タイムスケジュールはどんな感じで組むか、備品や制作物は何を使うか、作るかなど毎回色々なことを話し合って行動していました。

そうして活動していき、4回ほどライブを行ったときに僕はあることに気づきました。
それは「ライブを作り上げることの楽しさ」です。
さらに細かく言うとライブを作り上げることで、
「出演者」「ライブを見に来るお客さん」「製作者側の自分たち」がみんな「笑顔」になっているのが、とても嬉しかったのです。

そこから僕はライブやイベントを作る仕事をしたいと思うようになりました。
そして高校卒業後は、イベント政策や芸能マネージメント関係の専門学校に行きました。

専門学校時代

専門学校では正直今の仕事に役立っていることとしては2割程度のことを学びました。(笑)
でももちろん、音楽関係のお金の動きや企画の立て方、舞台の作り方などを学ぶことができたのは良い経験だったと思います。

ではそんな専門学校でこのイベント21に出会ったきっかけですが、それは会社説明会でした。どこの専門学校でも行っているかと思いますが、専門学校に直接企業さんが来てくださって、説明会を開いてくれていました。

その説明会まではイベント運営会社のアルバイトスタッフとしてライブ現場のスタッフをしており、できればここの会社に入れたらなぁなんて考えていました。
ただその説明会に出た際に現イベント21マネージャーの小杉さんから「なりたい自分像」についての話を聞きました。その話を聞いて、僕は僕のなりたい自分像って何だろうって考えました。

その時に出てきたのは、小学生の時のおじいちゃんからの教えにある「誰にでも優しくすること」とライブ制作団体で知った、みんなを「笑顔」にすることの嬉しさが出てきて、なりたい自分像は「関わる人すべてを笑顔にしたい」というのが分かりました。それまで考えたこともなかったので、自分の中では革命的なことでした。
そんなことを考えられたのも束の間で、その説明会でイベント21の理念、
「you happy,we happy!」を聞いたときに、入るべき会社はここだと直感的に思いました。そうして僕はイベント21に面接などを受け、無事入社することができました。

入社してからの今まで

1年目

社会人一年目は毎日がとても緊張していました。そして同時に早く一人前になりたいと思っていました。当時は東京支店で勤めており、高橋さんリーダーの梶川さんサブリーダーというチームの中の新卒として働いていました。

イベント21に入社すると最初の1年は1年目標、9カ月目標、3カ月目標というものを掲げます。僕は3カ月目標に「現場案件を請求トータル100万以上決める」という目標を掲げました。

今の自分が見てもなかなかハードルの高いとは思います(笑)
そしてこの目標を達成するために高橋さん、梶川さんがとても協力して頂き、最終的には無事達成することができました。

またその目標を達成するうえで一番記憶に残っているのは、ある地域のお祭りでふわふわ遊具のスライダーを設置しに行った現場です。
設置の際には地獄のような暑さでしたが、無事終わってイベント当日も丁度休みだったので、遊びに行きました。
すると、手配したスライダーで子供たちがとても楽しそうに笑顔で遊んでいるのが見れて、この仕事をしていてよかったと、とても感じました。

地域のお祭りで手配したスライダーの風景

そういった経験を得て、当時の新卒の中はそこそこの現場力を身に着けることができました。
その後の1年は正直あまり記憶がありません。(笑)
一気に繁忙期が来て、本当にえげつないほど忙しく、フリーダイヤルの電話にお客様対応、現場と目まぐるしい毎日が終わって、あっという間に1年が経ちました。

2年目

2年目になると初めての後輩ができました。
それが現福岡支店のセクションチーフ(支店長)物江さんです。
正直最初はどう関わればいいんだろうという悩みがありましたが、そんなことを考えるのも束の間で、教育指導していかなくてはならない毎日で、一年目に教えてくださっていた高橋さん、梶川さんの偉大さをとても思い知りました。

そして同時にエデュケーション委員会という教育を主とした委員会の委員長にも就かせて頂きました。

エデュケーション委員会は2018年に新設された委員会でして、2年目の委員長として、1年目に行った公開MBAを東京 秋葉原、奈良 奈良公園で行いました。
東京では司会を務めさせていただき、ガチガチに緊張して噛みまくる司会という情けない姿を見せてしまったのがとても悔しい思い出ですが、終わった後には来てくださった皆さんが、来てよかったとおっしゃって頂けたのは本当に良い思い出です。

ド緊張している場面です

3年目(現在)

そして3年目の今、福岡支店のサブセクションチーフとしてスタートしました。
ただ、2年目の最後から福岡支店の立ち上げを行って、無事営業がスタートできると思った矢先に新型コロナの流行です。
軒並みイベントというものが無くなり、イベント21全体としてもかなり仕事が減ってしまいました。

福岡支店としても出鼻をくじかれた感がとてもありましたが、このままではいけないと、まずはオフライン営業をどんどん行っていこうとなりました。
その為に過去の案件をカテゴライズして電話を掛けたりなど、今まで行ったことないことを始めています。

またそれ以外にもイベント21が大切にしている文化面ではランチ授業という、お昼の時間にそれぞれが学んだことを持ち寄って、まるで学校の授業のように発表し合うことを行ったりしました。これはそれぞれがどういったことに興味があるのかということや、自分自身の考えをまとめられることでもあり、とても良い文化として作れました。

と、かなり大変な3年目ですが、支店長の物江や新卒の池田君、待鳥さんと共に福岡支店として結果を出せるよう、九州にhappyを届けられるように頑張っています!

これからの目標

今の福岡支店はまだまだ課題だらけだと痛感しています。それでも早く他の拠点に肩を並べて、九州にhappyを届けられるように、早く1つ1つの課題を解決していかなくてはなりません。

まずは数字。そして次に求人。この二本軸を良い方向に延ばすためにも、福岡支店一人一人が常に、劇的に成長し続けて九州にイベント21の名を轟かせられるように頑張っていきたいと思っています!

そして個人的な目標として、今年は福岡三大祭りがすべて中止になってしまいましたが、来年にはそのどれかに深く関われるように、今年度中にまずはイベント21が福岡にできたということを福岡の方に知ってもらえる働きをしていきます!

以上、社会人3年目 森田の歴史とこれからの目標でした!

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